あいつはスタイルがあるね。その言葉が絶えず飛び交うように、いつの時代も“スタイル”が何をおいても、基準となるのがストリートシーンだ。
スケーターのShawn Powers(ショーン・パワーズ)もその例外ではない。ひときわ異彩を放ったのは、野生的で自由奔放、荒々しくデッキを滑らせるその“スタイル”。それが目に止まり、2013年ブリティッシュスケートカンパニー「PALACE(パレス)」唯一のアメリカ人ライダーとして鮮烈なデビューを果たした。この事実こそが、ショーンのスタイルの引力を何よりも物語っている。

周りに有無を言わせぬ圧倒的なやり様はスケートだけに留まることはなく、これまでに東京やニューヨークなどで個展を開催するなど、アーティストとしても名を知られつつある。スケートにおいてもアートにおいても人を引っ掛けるショーンだが、決して人たらし、というタイプではなく、どちらかというと一匹狼のような印象で、たやすくは触れられない。一筋縄ではいかないショーン・パワーズの引きの魅力とは何なのだろうか。
百聞は一見にしかず。会って肌で感じてみようと連絡をとってみたところ、「今の俺を知りたい?タダじゃいかないよ?」との返答が。出演するスケートビデオから漂わせる悪童ぶりからも、一体どんなおっかない奴なんだと少々物怖じしながら彼の待つアパートに向かった。
—今日はありがとう。まず初めに、自己紹介をよろしく。
S:ニューヨーク・クイーンズ生まれ。今はマンハッタンのダウンタウンで生活しているよ。スケートカンパニーPALACEのライダーでもあり、アーティストでもある。俺はスタイルのあるものが好きでね。オールドスクールなヒップホップやジャズ。それにVHSで見る映画も好きだし、これなんか(ブラウン管テレビに乗っけられたPS2とファイナルファンタジーを指差して)はガキの頃からずっとさ。
—ファイナルファンタジーとは意外だね。
S:俺のインスピレーション源だよ。
—スケートを始めたのは?
S:スケートは10歳の頃で間違いないと思う。母さんの買い物に付き合っていた時のこと。「トライアングル」ってスケートパークの脇を通った時に、俺より15歳くらい上の奴らがバギーパンツを履いてオーリーしてるのをみて「なんてクールなんだ!」って思ってね。俺も彼らとハングアウトしたいって思ったことをきっかけに、トライアングルに遊びに行くようになった。彼らはスケートだけでなく、何がクールなのかってことを教えてくれたよ。
—近所の兄ちゃんたちが原点なんですね。アートの方だけど、絵を描き始めたりしたのもこの頃?
S:絵はもっと小さな頃から自然と描いてた。周りの大人がいつも俺の絵を褒めてくれたから小さいながら「俺は絵がうまいんだ」なんて漠然と思っていたよ。東京やロンドン、それからニューヨークでエキシビションを開くまで真剣になったことなんて一度もなかったんだ(笑)。

Do the right thing :(人として)正しいことをする、当然のことをする
—2013年にはロンドンのスケートカンパニーPALACEの唯一のアメリカ人ライダーとして加入が決まった。
S:びっくりだよな(笑)。ただ本当のことを言うと、俺がパレスに加入した時は、今ほど大きくなるなんて思ってもみなかったよ。「タダでデッキがもらえるならいいか」ってなくらいで。
—初となるニューヨークでの路面店もできて、その勢いは増しているね。加入までの経緯を聞いてもいい?
S:スケートブランドのBronze 56K(ブロンズ・56K ※1)の創設者Peter Sidlauskas(ピーター・シドラウスカス)は俺が15の時から一緒にスケートビデオを撮っていた仲なんだ。それで過去のブロンズのビデオに結構登場してるんだけど、そのうちの一つ『Solo Jazz(ソロ・ジャズ)』っていうスケートビデオを見たパレスのオーナーが、俺のスタイルを気に入った。それでライダーにならないかって連絡がきたんだ。
※1 ニューヨークを拠点にデッキに使用するビスメーカー。ビスメーカーでありながらアパレルやデッキをリリースする。
—ショーンの自由奔放でワイルドなスケートスタイルは一度見ると忘れられないです。そんなスケートスタイルを見る限りでは、同時に怖いもの知らずという印象があります。ショーンにも、怖いものってあるの?
S:貧乏。貧乏なのは嫌だね。あと一人ぼっちになるのは恐ろしい。とは言うものの、怖いものってあんまりないかも。
—唯一のアメリカ人ライダーとして、イギリスのスケートカンパニーに所属することについてはどう感じてる?
S:もちろん大きな責任を感じているよ。加えて自分は本当にラッキーだったと思ってる。ブロンディ(Blondey Mccoy)にルシエン(Lucien Clarke)に、べニー(Benny Fairfax)、チューイー(Chewy Cannon)。みんな俺のベストフレンドであり、最高のチーム。ただね、実は今となっては、唯一のアメリカ人ライダーではなくなったよ。ここ最近、フィラデルフィアを拠点にするジャマル(Jamal Smith)の加入でPALACE 所属のアメリカ人ライダーは俺と彼の二人になった。彼は最高にヤバい奴。地に足ついた男ってとこかな。
—粒ぞろいとはまさにこのこと。
S:そうだね。自分の名が刻まれたデッキを早くリリースしたいよ。その為には、スケートを滑り続けて、「Do the right thing :(人として)正しいことをする、当然のことをする」の必要があるね。というのも、咋年の1年間はスケートから離れていたんだ。
—昨年はショーンを見る機会が減った印象がありました。その1年間は何をしていたの?
S:絵を描いてはいたけど、何もしちゃいなかったね。スケートからも離れて、ただただパーティーに明け暮れていたよ。あの頃は無茶苦茶だった。
—昨年の頭には...あのビデオ(※1)の流出もあったよね。
S:あの時はベロベロに酔っ払ってたんだ。友だちが「もしこの水槽をぶち壊したら100ドルやるよ」って...そりゃあやるよな(笑)。ただ、まさかネットにあげるとは思ってもいなかった。俺は「ネットにはあげるなよ」って念を押したんだ。だから、あのビデオが公開された時はとてもショックだったし、怒り狂ったし、そして何より恥ずかしかった。バカなことをしたと思ったよ。
※1 2016年の頭、ショーンがロブスターの入った水槽をデッキで叩き割る映像がインターネット上で拡散された。
—さっき言っていた「Do the right thing :(人として)正しいことをする、当然のことをする」。あの事件、そしてそこからの1年がショーンに影響しているのかな。
S:用心深くなった。あと何より「カメラの前ではバカなことはするな」っていうことを学んだよ。
—ちなみに、友人やPALACEサイドから何か言われたりした?
S:怒られやしないかってビクビクしていたんだけど、そんな心配は必要はなかった。まさかのその反対で、PALACEチームはあの出来事を面白がっていたよ。「心配すんな。大したことじゃない。ただ、くだらんことはするなよ」ってな具合に。
—色々と大変だった2016年ですね。
S:あの時は本当に腐っていたよ。でも俺は今、再び戻ってきた。すべきことはわかっている。今はスケートもアートもメイクしたくてたまらないんだ。
—いよいよですね。生粋のニューヨーカーなショーンだけど、アーティストとして、スケーターとして、ニューヨークプライドみたいなものはある?
S:ここは何においてもパーフェクトな場所。もしここに生まれ落ちていなければ、スケートもアートもやっていなかっただろうし、俺のスタイルなんていうものはなかったと思うね。この街が俺の考え方、やり方、すなわちスタイルを教えてくれたと言っても過言じゃないよ。俺の校庭であり、教室であり、先生みたいなもの。今ここに俺がいられることに感謝している。

俺はハッピーであるか、もしくは悲しみに沈んでいなければいけない
—それでは、今度はアーティストという面も踏まえてショーンに聞きたい。スタジオでアートをメイクすることと、路上でトリックをメイクする際のマインドの違いを教えて。
S:俺にとっては、どちらも同じようなものだ。時にアートは難解で、時には簡単だったりもする。それはスケートでメイクするのも同じこと。スケートもアートもやり終えた後のあの満足感は何にも変え難いものがある。最高な気分さ。
—終えた後の満足感という意味では同じということだね。その工程の中でも違いはない?
S:創作活動をする場合、俺はハッピーであるか、もしくは悲しみに沈んでいなければいけないんだ。一方、スケートしている時はより心は平静で、体はエネルギーに満ちたような状態かな。
—アートとスケート、それぞれの気分があると。創作活動があなたにもたらすものとは?
S:「Life style(ライフスタイル)」「Attention(注目)」「Money(金)」、そして「Satisfaction(満足感)」。バスキアやアンディ・ウォーホル、あいつらクールじゃん。
—おお、どこかで「好きなアーティストはいない」って読んだんだけど、彼らの生き方にインスパイアされてるんだね。アーティストとしては、他に何からインスパイアされるの?
S:ジョージー(Gogy Esparza)かな! あいつは俺にとってベストフレンドであり、インスピレーションを与えてくれる男だよ。
—二人の関係については聞きたかったところ。
S:出会ったのは3、4年前。それからつるむようになって、ジョージーは俺が家なしの時には泊めてくれたし、人生初のエキシビションを実現してくれた。その時なんて、2ヶ月間もMagic Gallery(マジック・ギャラリー)で寝泊まりしたんだよ。
—(笑)
S:一緒にデンマークでエキシビションもやったし、いつも俺を手助けしてくれるんだ。スケーターでなければ、ニューヨーク出身でもないジョージーだけど、俺はあいつのことを「生粋のニューヨーカー」だと思っているよ。ここダウンタウンで、自分で自分の居場所を作った男だからね。
—ところで2015年に、東京にあるSO Gallleryでの個展「LAMENT OF iNNOCENCE(ラメント・オブ・イノセンス)」について。あれってどうやって実現したの?
S:Toya(トウヤ ※1)*が俺のところにきて、「日本でエキシビションやらないか?」って話をくれたんだ。というのも、HELLRAZOR(ヘルレイザー ※2)のTsumi(※ 3)、俺とジョージー、そしてヘルレイザーのトリプルネームでコラボレーションしたい」って話があって。それに併せて個展をやらないかってことで、日本へ飛んだよ。
※1 NYを拠点にする日本人グラフィックデザイナーToya Horiuchi(トウヤ・ホリウチ)。LQQK STUDIO(ルック・スタジオ)や、Alltimers(オールタイマーズ)、QUARTERSNACKS(クォーター・スナックス)などにデザインを提供する他、HELLRAZORのメインデザイナーとして活躍。
※2 インディペンデントなスタンスを貫く日本発のスケートボードブランド。昨年末には、HELLRAZORだけでなく、他のスケートブランドも取揃える実店舗「Wavey Store(ウェイビー・ストア)」を東京・三軒茶屋にオープン。
※3 HELLRAZORのディレクターを務める。ShawnとGogyとのコラボレーションプロダクト制作に加え、Shawn の日本での個展「LAMENT OF iNNOCENCE」をオーガナイズする。次世代の東京ストリートシーンのキーマンと言える存在。
—初めての日本。印象はどうだった?
S:日本について最初の1週間は、起きては絵を描いて、ビール飲んで、また絵を描いてっていう生活でさ、14枚の絵を完成させてやっと、スケートを持って街に出たよ。渋谷なんかはニューヨークのダウンタウンを思わせるような場所だね。飽きない街だ。たくさんの人に、たくさんのライト。どこを見渡せどつまらないと感じることのない街で、俺はとても気に入ったよ。
—スケートに関しては?
S:スケートスポットとしても最高だったよ。3週間Tsumiのところにお世話になったんだけど、彼がスポットから飯屋、エキシビションのセットアップまで何から何までしてくれたんだ。だから今一度この場を借りて言わせて欲しい。「ありがとうTsumi。そして Toyaも」。これあの二人、見てくれるよな?(笑)
—見せておきます(笑)。カムバックしたショーン、今後の展望を教えて。
S:とりあえず、スケートとアートをメイクし続けるよ。あと本を作る。それから、Jim Greco(ジム・グレコ)*みたいな映画も作りたい。それにさ、意外かもしれないけど、みんなと同じように、結婚して、子どもを育てたいね。家は豪華でビックなとこがいい(笑)。
*スケートキャリア25年を超える伝説的プロスケーター。前編35mmフィルムで撮影した『THE WAY OUT』や今年公開されたドキュメンタリー映画のような仕上がりの映像作品『Year 13』など、彼独自の徹底した美学を貫く。
—最後に、あなたにとってのスケート、そしてアートとは?
S:全てだね。俺が思うに俺はこのために生まれてきたと思うよ。学校に行って、定職につくなんて俺はまっぴらごめんだね。生きていく上で、俺がスケートとアートを選んだこと、そしてスケートとアートも俺を選んだこと。俺はとっても幸せだ。
Photos by Kohei Kawashima
Text by Stoop Kid